羽水

もっと!も〜っと!

隣どおし あなたは 別にあなたじゃない

 

 

 ねりり

梅ぼしをねって     かためました

 かんでしみ出す

 

 梅ねり

 

 

 

 

 

 

先日、同じコミュニティに属する一人がメチャクチャ近所に住んでいるということが判明した。

 

私は今年4月に環境を変え、要は見知らぬ土地へ引っ越してきたのだが、友人どころか知人もいない、このエリア内のどこで何をしても私を「私」として認識する人は誰もいないという状態に、居心地の良さともの寂しさを同時に感じていた。

学生の身なので一応「所属」というものがあるわけで、もちろん知り合いもいるにはいる。ただ、定期的に一堂に会するとかここへ行けば必ずこの人たちがいるとかいうわけではないので、自ら情報を発信しない限りは私の生活の一部すら観測されることはほぼあり得なかった。

 

それがどうだ。

知り合って間もないある一人に雑談の一環で振られた「どの辺に住んでますか?」の質問が、この静謐たる停滞に波を起こしたのだ。

私の返答に驚く相手の話を聞くと、なんと住所が番地まで同じときた。一緒にGoogleマップを開いて確認してみると、建物同士が隣り合っているレベルで近かった。

 

ほう……そうか……

 

まあ……別に……

 

見られて困ることしてるわけじゃないし……

 

別に……いいか……

 

へへ……

 

思い返してみれば、近所のコンビニで20円引きのパンを物色していたときなどにちらりと見覚えのある顔を見かけたような気も、する。

そのときは「なんか見たことあるかもな」と思って2秒くらいジッとそちらを見てしまったのだけど、もしかしたら相手ははっきり気づいていたのかもしれない。いやまさかね……

 

別に、パジャマのままコンビニへ行ったり裸足でその辺を走り回ったりゴミ捨てのときに袋を振り回して生ゴミを散乱させたり、そういうことは一切していないので、何か対応を変えるわけではない。

でも、こう……「この人が近所にいるかもしれない」ことで生まれる緊張感ってちょっとイヤですね。結果のほうではなく、機序とそれにともなう心の動きのほうが。

その事実を認識する前は、自宅の近くですれ違う人々は全員、その程度の接触では互いに干渉することはない無関係な存在であったし、近所に住んでいる彼(女)もまた、顔も名前も知り得ない群衆の中に溶け込んでいた。

それが、先述のやり取りの影響で近所一帯が「彼(女)がその中に居るかもしれない空間」へとその性質を一変させた。

 

これは……いかんですよ。たった一人の存在を意識しているみたいで、ちょっと居心地が悪い。

私は誰の思惑にも絡め取られたくないのだ。無関係だ。そこでバスを待っているお前とも、ジョギングをしているお前とも、初心者マークをつけて覚束ない運転をしているお前とも、無関係だ。私は何の影響も受けない。

私がそこらじゅうの全てのお前を一人一人として認識しないのと同じように、お前も全員、私を私と思うんじゃない。私の輪郭を際立たせるなどということは許さない。意識するな。意識するな。私を意識するな。私を顔のないモブにしろ。名前なんかない。声もつかない。BGMにかき消されるくらいのガヤしか喋らない。そういう存在。「いてもいなくてもいい」とかじゃない。いるんだ。だって他人なのだから。群民を構成するただの一要素。当然にこの世に存在する、しかしお前によってスポットライトが当たることはない。お前はスポットライトを当てようとも思わないだろう。だって私はお前にとって「私」などではなく、群衆に溶け込む人の形をした物体にすぎないのだから。

 

そうやって私と関わらず生きていけ。そして、自由であれ。お前の景色の中に登場する、群でない存在を選び、その人たちとだけ関わって過ごせ。

 

私はお前から何も奪わない。

 

お前もまた、私から何も奪えない。