羽水

もっと!も〜っと!

skrr skrr

ブーンと走る車に4時間ほど乗った。運転したのは父であり、助手席には母が座っていた。私が住むアパートまで両親が迎えに来てくれたのだ。

 

夏季休業期間ということでいろいろ用事がある。旅行とかレジャーにふけっている時間はない。やったことないことをする。知らなかったことをする。私は今夏、私がまだ知らない夏を過ごす。そりゃそうだ。

実家には私個人の部屋がない。リビングでは興味のないテレビ番組がほとんど常に垂れ流しになっている。唯一作業場にできる場所とリビングとの間に壁はない。その上部屋間の動線と隣り合っているため、パソコンをいじっている後ろに回り込まれることなどザラだ。私が小さな液晶に向かってカタカタと何を打ち込んでいるのかなんて別に家族は興味ないだろうが、聞き流しも人の気配も苦手なもので、心の底から、本当に、邪魔なのだ。

そういうわけで常に他人の気配がうごめく空間こと実家は全くもって心安らぐ居場所なんかではない。忌み嫌っているわけではないが家族に対してはそれなりの、確執未満の調和の欠如も認めざるを得ない状況なので、ここで過ごすには相応の我慢が必須である。まあ共同生活なんだから当然のことと割り切っている。

 

母は「一人暮らしはつまらないだろう」と言った。テレビもないし話し相手もいないのだからと。何も間違っていないが、時間が有り余るとか意識を向ける対象が少ないとかいうことは、意識せずとも他の何かに傾倒し得る可能性が充満しているということなのだ。一人暮らしをしたことがない母は知らないことであろうし、長く人と暮らせば私でもこんなことすっかり忘れ切ってしまうだろう。母は週の半分くらいパートタイムに従事して時間と体力その他諸々の能力を賃金に交換しているが、余った時間をテレビ番組とか配信ドラマとかのパッケージングされたコンテンツ以外にも費やす喜びを体感してみてほしい。この歳だからこそ。何を勧めたらいいだろう。この間はちょっと冗談っぽく 短歌とかどう? と言ってみた。

父は行きと帰りと長時間運転してかなり疲れているだろう。高速に乗ってからは私のスマホとカーステレオをBluetooth接続して、適当に作ったプレイリストをシャッフル再生していたが、1時間もした頃、ミスチルの『タイムマシーンに乗って』が半分ほど流れたところで「ニュースに変えてもええか?」と言い、音楽を止めた。もしかして気に入らなかっただろうか。いやミスチルは父も好きなはずだ。それとも、『タイムマシーンに乗って』は1997年の曲だ、「世代すぎた」のだろうか。家族とドライブしながら聞くには気恥ずかしかったのかもしれない。センチメンタルになりすぎた刹那の判断だったのか。はたまたこんな妄想は全く的外れで、単にニュースを確認したかったのかもしれない。1時間カーステレオで音楽を聞き続けて耳が疲れたからかもしれない。真相を聞く勇気は私にはない。

 

絶対的には私が歳を取るのと同じ速度で親もまた歳を取るが、相対的な歳の差はどんどん縮まっていく。子として、また徐々に「大人大人」していく一方である人間として、ボケッとして綱を握る手を緩めるわけにはいかないなと感じるようになってきた。血が繋がっているからとか、八つ当たりや干渉が鬱陶しいからとかではなく、できるだけ長い時間をできるだけ機嫌良く過ごしてほしい。他人だから。一切すべての他人に対してそう思っているから。